ブログ
遷移金属ダイカルコゲナイドの超高速ダイナミクス

遷移金属ダイカルコゲナイドの物性
遷移金属ダイカルコゲナイド(Transition Metal Dichalcogenides, TMDC)は一層の遷移金属層をカルコゲン原子層がサンドイッチした構造を取る結晶である(詳しくは遷移金属ダイカルコゲナイドの記事を参照)。図1に示すように単層のTMDCは原子3つ分の厚みしか持たないため、面外方向(結晶面に対して垂直な方向)に強い量子閉じ込め効果が表れる。半導体の性質を持つTMDCでは、励起されることで内部に電子-正孔対(励起子)が形成されるが、面直方向の量子閉じ込め効果により電子-正孔間の距離(ボーア半径)が収縮される。また、ほかの原子からの電子-正孔間クーロン相互作用に対する遮蔽効果が少ないため(reduces dielectric screening)、励起子束縛エネルギーが約 550 meV と非常に大きい。そのため、室温でも安定に励起子が存在することができる。
図1 単層TMDCの結晶構造
超高速ダイナミクス
半導体のキャリア励起と緩和のプロセスは、フェムト秒からピコ秒スケールの超短時間領域で発生するため、超短パルス光源を用いたポンププローブ計測を行うことで、励起子ポラリトンの緩和経路や緩和のダイナミクスを解明できる。ポンププローブ計測では、ポンプ光とプローブ光という 2 つのフェムト秒パルスを試料 に入射させる。ポンプ光によって試料中に励起子ポラリトンを形成し、その屈折率の変化を プローブ光の反射率でモニターする。プローブ光の入射のタイミングを遅延させることで、 励起ポラリトンの発生と緩和の過程をアニメーションのように追跡することができる。
以下に示した例では、シリコン基板上に化学気相成長法(CVD法)を用いて気相成長させた単層MoSe2試料を用い、そのダイナミクスをポンププローブ計測によって調査した。測定は室温環境で行い、ポンプ光にはバンドギャップよりもはるかに高い400nmの光を用いた(MoSe2のバンドギャップ幅は800nm)。プローブ光には励起子吸収がある800nmの光を用いた。ポンププローブ計測の模式図と、測定したデータ及びFittingの結果を図2に示す。
図2 単層MoSe2の超高速ダイナミクス
なお、fittingには以下の関数を用いた。
$$y = y_0 + A\exp\Big(-\frac{t}{\tau_f}\Big) + B\exp\Big(-\frac{t}{\tau_s}\Big)$$
緩和過程
バンドギャップよりもはるかに大きいエネルギーを持つポンプ光がMoSe2に照射されると、電子が励起され伝導帯内にキャリアが形成される。そのため、まず伝導帯内部で底までの緩和が発生したのち、励起子状態へと緩和する。その後は発光による緩和過程(輻射再結合、radiative recombination)と熱などによる光らない緩和過程(非輻射再結合、non-radiative recombination)の二つによって、キャリアの再結合が起こる。
輻射(発光)過程
輻射過程においては、バンド間遷移(interband transition)がダイナミクスを支配していると報告されている[1]。ポンプ光が入射すると、励起されたキャリアはバンドギャップよりもはるかに高い位置に局在しており、別の見方をすれば任意の波数を持っている。フォノンへの熱緩和等を挟んでキャリアの波数は価電子帯上端の波数と同じ値をとり、光子放出による発光過程を経て再結合される。単層からの発光は主にこの過程が寄与している。先行研究では、単層MoSe2の発光寿命を極低温下(7K)で測定したところ、1.8 ps程度であったと報告されている[2]。MoSe2やMoS2ではバルク試料では間接遷移型の半導体、単層試料では発光効率の良い直接遷移型の半導体へと性質が変化すると報告されている。図3にバンド構造の層数変化による変遷を示す。図3 MoS2のバンド構造の変遷[3]
発光過程はBrillouin zoneの$K$点で発生するが、バルク試料では伝導帯の下端は$\Gamma$点にある。そのため、層数が増えるごとに伝導帯の下端が$K$点から離れ、バンド間遷移が起きるためには波数ベクトルの違いを織り込んだフォノンによる散乱など、高次の過程が必要になる。それにより、緩和経路は変化する。
非輻射(発光しない)過程
非輻射再結合の過程においては、強い励起子束縛エネルギーを持つ励起子は励起後しばらく結晶内に滞在している。先行研究では、励起後3-8 psの領域ではAuger過程のような励起子-励起子消滅 (Exciton-exciton annihilation, EEA) という現象が支配的であるとされている。同じエネルギーおよび運動量を持つ励起子同士が衝突することで、片方がもう片方の励起子にエネルギーを渡すことにより消滅し、エネルギーを渡された励起子はより高い励起状態に遷移するという現象である。EEAは励起子密度の2乗に比例すると考えられるため、ポンプ光のパワーを増やし生成される励起子の数が増えた場合、EEAによる緩和過程にかかる時間($\tau_f$)は線形なプロセスより大きく影響を受け短くなる[3]と考えられる。また、30-80 psでは、キャリア-フォノン散乱(Carrier-phonon scattering)という過程が支配的である。この過程は、結晶内の欠陥に励起子が捕捉されることにより束縛励起子となり、エネルギー差がフォノン(熱、格子振動)として放出されるという現象である。結晶中の欠陥が増えるほど励起子の捕捉が速くなるため、この緩和過程にかかる時間($\tau_s$)は短くなる[4]。
Trion、biexcitonの生成
上記で述べた通り、TMDC中に形成される励起子は非常に強い束縛エネルギーを持っているため、特殊な構造を持った粒子が存在する。それが、電子-正孔対にもう一つ電子または正孔が結合したtrion、電子-正孔対にもう一つの電子-正孔対が結合したbiexcitonと呼ばれる粒子である。図4にtrionとbiexcitonの概略図を示す。
図4 Trionとbiexciton
Trionはプラスまたはマイナスの電荷をもっており、通常時では非常に不安定な構造である。しかしTMDCのような二次元物質中に発生する励起子は非常に強い束縛エネルギーを持っているため、このような不安定な構造の粒子でも室温で安定に存在することができる。余分な電荷は基板内の欠陥などから発生する[5]。それぞれの粒子は励起子とは異なる束縛エネルギーを持っており、MoSe2ではtrionが30-31 meV、biexcitonが20 meV程度である。 先行研究では、MoS2中での励起子の緩和の時定数が1.2 psに対し、電子2の緩和は56.6 psと非常に遅いと報告されている。これは、ポンプ後500-600 fsで励起子が形成されたのち、電子が捕捉されて負電荷のtrion(negative trion)となるためであるとされている[5]。
参考文献
[1] Robert C. et al. Exciton radiative lifetime in transition metal dichalcogenide monolayers. Phys. Rev. B, 2016, 93(20), 205423
[2] Liu H. et al. Exciton Radiative Recombination Dynamics and Nonradiative Energy Transfer in Two-Dimensional Transition-Metal Dichalcogenides, J. Phys. Chem. C, 2019, 123(15), 10087-10093
[3] Splendiani. A. et al. Emerging Photoluminescence in Monolayer MoS2. Nano Lett. 2010, 10(4), 1271-1275
[4] Yuan L. et al. Exciton Dynamics, Transport, and Annihilation
in Atomically Thin Two-Dimensional Semiconductors, J. Phys. Chem. Lett., 2017, 8(14), 3371–3379.
[5] Tanmay G., et al., Ultrafast Carrier Dynamics of the Exciton and Trion in MoS2 Monolayers Followed by Dissociation Dynamics in Au@MoS2 2D Heterointerfaces, J. Phys.